伝説のいちごスムージー

伝説のいちごスムージー

2026-08-17

伝説のいちごスムージー

第一話 運命の一杯

休日の午後三時は、妙に腹が減る時間帯だ。
おやつの時間でもある。

ドライブの帰り道、信号待ち中のみたらし辰之介は助手席のフリーペーパーをチラッと見た。

「さて、と」

62歳という年齢を、本人はほとんど気にしていない。
髪に白いものが混じり、顔の彫りが深くなっただけで、中身は昔と変わっていない——と自分では思っている。

もちろん大きな勘違いだが、そういう勘違いができるうちは人間まだ元気だ。

橋を渡ると、手描きの看板が目に入った。

「○○○いちご農園」。

ビニールハウスの前に直売所が建っている。

のぼり旗には「いちご狩り」と「いちごスムージー」。

辰之介は迷わずハンドルを左に切った。

甘党という言葉では収まらない。
辰之介にとって甘いものとは、呼吸と同じカテゴリーに属する何かだ。

カウンターで呼び鈴を押して、メニューも見ずに出てきた店員さんに言った。

「いちごスムージーください」

「Sサイズでよろしいですか」

Lで」

五十代くらいの物静かな女性だった。

奥でミキサーが動く音がして、五分ほどでカップが差し出された。

スムージーを持って車に戻り、ストローを口に当てて――ひと口飲んだ。

しばらく、何も言わなかった。

カップを持ったまま、ただじっとしていた。

やがて辰之介は、ゆっくりと顔を上げた。

「こ、これは、……事件だ」

急いでメモを取る。

『果実感パネェ』

『幸せ度87点』

『おかわり』

語彙力の無さに悲しくなったが、今この瞬間は心で感じればいい。
辰之介の目が十歳くらい若返っていた。

 

 

 

翌週、にっしーが出勤するなり辰之介は言った。

「にっしー、ちょっといい」

にっしーは大阪出身の、自称(サバを読んでいる)26歳、一児の母。

職場では辰之介のボケにツッコミを入れる役を担っている。

本人はそんな役職を受け入れた覚えは一切ないが、油断していた自分も悪いと思い、受け入れている。

「昨日、いちごスムージーを飲んだ」

「はあ…」

「衝撃だぞ」

「はあ…」

「それでLupiLupiでスムージー特集をやろうか」

にっしーは顔を上げた。「急すぎないですか」

「思い立ったが吉日という言葉がある」

「思い立ったのは昨日やないですか」

辰之介はニコリと笑った。

この笑顔が出たら、すでに止まれない段階だと、にっしーは経験上知っている。

 

昼過ぎのミーティング。ホワイトボードにはすでに「スムージー」と書いてある。


ナースふじ子(仮名・36歳)がすぐに手を挙げて「飲みたい…」

「……食いしん坊か!」

 

「作るの?」

「売りたいんです」

「特集と自分たちで作るのは話が違うと……」

「そう。だから両方やります」

「なんで足し算になるんですか」

「引き算より足し算のほうが楽しい」

「算数ちゃいますよ」

キュウさん(仮名・68歳)が静かに言った「辰之介さん、楽しそうだね」

辰之介の顔がほころんだ「楽しいですね。甘党ですから」

 

その週末、辰之介は自宅でスムージーの試作を始めた。
冷凍いちご、牛乳、ヨーグルト……

レシピはネットで調べた。

ミキサーのスイッチを入れる。

『ンゴーーー』轟音。

蓋が少し甘かったため、中身が飛び出し、冷蔵庫がピンクになった。

辰之介は壁を見た。

「ピンク……」

もう一度、冷蔵庫に目をやり

「……芸術だ」

事件からの現実逃避だった。

 

月曜日、にっしーは辰之介の耳の後ろに赤い染みを見つけた。

「何かついてますよ」

「いちごだな」

「……なんで耳の後ろに」

「ミキサーが爆発した」

「何やってるんですか休みの日に……ケガは?」

「してないけど、プライドが少し傷ついた」

「ケガの功名ってやつですかね」

「うまいねぇ、名言帖シリーズに載せようか」

「やめてください」

 

その夕方、LupiLupi編集部宛に一通のメールが届いた。

差出人の名前はない。

《本物のスムージーを知らない者に、最高のスムージーは作れない。》

辰之介はそのメールを長い間見つめた。

 

にっしーが隣でため息をついた。

「また面倒くさいこと始まりそうやないですか……」

辰之介は静かに笑った。

「いや……」

一拍置いて言った。

「これは新しい事件の始まりだ」

 

窓の外、玉名の夕陽が屋根を橙色に染めていた。

どこかで誰かが笑う声がした。

街はいつもと変わらず穏やかに夕暮れていく。
ただ、この編集室の片隅だけが、少しだけ、違う空気を帯び始めていた。

 

 
――― 第二話へつづく ―――

「この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません」

投稿者

  • 茶柱

    ども。
    皆さん、ごきげんよう。
    そして、はじめまして。

    茶柱 [みたらし] 辰之介(ちゃばしら [ミタラシ] たつのすけ)という者です。

    今後、るぴるぴの中にちょいちょいお邪魔します。
    よろしくお願いします。

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